2009年06月15日

漬物(つけもの)とは、野菜などを食塩、酢、糠味噌

漬物(つけもの)とは、野菜(場合によっては魚や動物)などを食塩、酢、糠味噌、醤油、酒粕、油脂など高い浸透圧を生じたりpHを下げる効果を持つ、あるいは空気と遮断する効果を持つ漬け込み材料とともに漬け込み、保存性を高めるとともに熟成させ、風味を良くした保存食品。しばしば乳酸発酵などの発酵と、それによる保存性や食味の向上が伴う。

発酵を伴うタイプの漬物は、材料に自然に付着している乳酸菌と材料に含まれる糖類によって発酵し、保存性と風味の向上が起こるが、麹などを添加して発酵の基質となる糖類を増やしたり、そこに含まれる酵素によって風味を向上させる酵素反応を誘導することもある。一方、実際には浅漬け、千枚漬け、松前漬け、砂糖漬け等、その製造に発酵をともなわないものも多くあり、漬物すなわち発酵食品と分類することは誤りである。

発酵により、強い香りを発するものが多い。このため、「香の物」、「お新香」とも呼ばれる。また、秋田県など一部の地方では「雅香」がなまった「がっこ」と呼ぶ。

日本の漬物の場合、乳酸菌による発酵は酸味が著しく強くならない程度に抑制されているものが多いが、中には柴漬けやすぐき漬けのように強い酸味を持つものもある。ヨーロッパのザウアークラウトも、この類である。

漬物の技術は、乳酸菌発酵を十分に行うと野菜のみならず、動物質の保存にも有効となり、こうしたものはなれ寿司に分類される。鮒寿司、はたはた寿司、イヌイットのキビヤックなどである。鮒寿司などの名前の「寿司」は、本来は発酵基質の糖質として炊き上げた米などの穀物を使用するこうした保存食を意味する言葉で、酢飯に魚を乗せる型のものはごく最近になって即席の寿司として誕生した新しいものである。

沢庵漬けのような糠漬けや、糠味噌床も、なれ寿司の穀物を乳酸発酵の基質として利用する技術の延長線上にあり、北陸の「へしこ」や北海道の「糠鰊」などにその中間型を見ることができる。
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愛知県海部郡甚目寺町には、日本に唯一漬物の神様としてカヤノヒメを祭った萱津神社がある。毎年8月21日に催される「香の物祭」には全国の漬物業者がお参りする。漬物組合では毎月21日を「漬物の日」と定めている。

なお、砂糖漬けについては、保存性から漬物と分類する場合もあれば、製造法や用途などから漬物ではなく菓子もしくは菓子材料と分類する場合もある。また、ツナやオイルサーディンに代表されるような油漬も広義の漬物とされることがある。

2009年05月30日

瀧山

瀧山(滝山:たきやま、文化2年(1805年) - 明治9年(1876年)1月14日)は、江戸幕府13代将軍徳川家定・14代家茂時代の御年寄。御鉄砲百人組・大岡義方の長女。名は多喜とも。同じころに大奥勤めをしていたませは姪。

文政元年(1818年)、14歳で大奥に上がる。その後、才覚が認められて将軍付御年寄に任じられた。14代将軍継嗣問題の際には南紀派(慶福派)に属しており、上臈御年寄・歌橋や13代家定の母・本寿院らと共に一橋派と対立。家定御台所・篤姫周辺らが推す慶喜の将軍就任に反対した[1]。 13代将軍・家定は次期将軍に徳川慶福に決定させ、安政5年(1858年)7月6日に死去した。

10月24日に14代・家茂とその実母・実成院が本丸大奥に入る。実成院はかなりの派手好きで毎晩女中らと酒を飲み騒いでいた。瀧山は実成院付の御年寄・藤野に「実成院様には、毎晩の御酒を控えるように」と注意を促したが、実成院はこれを聞き入れる事なく騒いでいた。瀧山は実成院に直接「大奥の風紀が乱れるため、毎晩の御酒を控えるように」と厳重注意をした。実成院はこれが気に入らず、瀧山の注意を聞き入れることはなく、毎晩飲みながら騒いだという。
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慶応2年(1866年)、家茂が亡くなった後、御年寄職を辞した[2]。

江戸城開城後は自分に仕えていた局の生家を頼り、現在の埼玉県川口市で過ごす。晩年夫婦養子を迎えて「瀧山」の苗字を名乗らせ、瀧山家を興した。明治9年(1876年)、72歳で没。

不明(生年不詳 - 昭和11年(1936年)1月19日?)
養嗣子。瀧山が川口に隠退した後に、妻とともに養嗣子となり、瀧山を苗字とした。
染嶋(そめしま、生年不詳 - 明治8年(1875年)2月22日)
叔母。旗本大岡義安の娘。大奥に仕え、維新後は瀧山とともに川口に隠退する。墓は錫杖寺の瀧山家墓所にある。
仲野(なかの、生年不詳 - 明治34年(1901年)10月5日)
侍女。瀧山が大奥にいた頃より仕えた。実家は川口にあり、瀧山はそれを頼って隠退したという。墓は錫杖寺の瀧山家墓所にある。瀧山の血縁ではないため、瀧山の嗣子となったのは仲野とその夫という可能性が高い。

2009年04月26日

ヤハウェ

ヤハウェ(YHVH, YHWH, JHVH, JHWH, IHVH, ???? , yahweh) は、旧約聖書中の、神(結果的には唯一神)を表すヘブライ語の単語を、推定の上、音訳したものである。 この4つの子音は「神聖四文字(テトラグラマトン Τετραγράμματον 、ギリシャ語で『四つの文字』の意)」とも呼ばれる。

日本語ではヤハウェの他にヤハヴェ(YaHVeH ヘブライ文字 ? [w]は現代ヘブライ語読みで/v/と発音)、ヤーウェ(YaHWeHのaHを長母音として音写)などの表記が用いられる。また、ユダヤ人たちの間では、後述するように直接ヤハウェの名を口にするのは恐れ多いと考えられ、神聖四文字を「アドナイ」と読み替えていた。YHWHに「アドナイ」の母音符号をつけると、エホウァやエホバ(YeHoVaH)となるのでそのように読まれることもある。

アドナイ、主
日本語訳聖書では、前述のユダヤの慣例を踏襲し、アドナイの訳語である「主」と訳すのが一般的である。日本聖書協会発行の『口語訳聖書』や『新共同訳聖書』、カトリック系の『バルバロ訳』などがこれである。ただし『新共同訳』では『創世記』第22章14節でのみ「ヤーウェ」とする。これはいわゆるイサクの燔祭の行われた「イエラエ」の地名を説明するために発音を示したものである。

またプロテスタント福音派系の『新改訳聖書』では太字で「主」とする。これは一般名詞としての主と、「文語訳ではエホバと訳され、学者の間ではヤハウェとされている主の御名を」「訳し」た「主」とを区別するためである。

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ヱホバ、エホバ
「エホバ」系の表記を採用するものもある。1887年日本聖書協会発行の『文語訳聖書』(明治元訳聖書)ではヱホバとなっている。[3]また、エホバの証人の翻訳による『新世界訳聖書』ではエホバが用いられる。

ヤーウェ、ヤハウェ
「ヤハウェ」系の表記を採用するものは少数派であるが、カトリックの『フランシスコ会訳聖書』ではヤーウェである。また無教会派の関根正雄による旧約聖書ではヤハウェ、『中公バックス 世界の名著 13 聖書』(ISBN 978-4-12-400623-0)の中沢洽樹による旧約聖書では「ハ」を小書きにしたヤハウェが用いられている。また前述の通り『新共同訳』では一部ヤーウェとあるほか、巻末収録の用語解説でヤハウェの読みも紹介している。

エル、エロヒム、シャダイ、神
旧約聖書では他に「神」という一般名詞であるエル(古典的なヘブライ語発音でエール)やエロヒム(同じくエローヒーム)などもヤハウェの呼称として用いられるが、一般に日本語訳聖書ではこれらの音訳は使用せず、これに相当する箇所は漢訳聖書での訳語を踏襲し神とするものが多い。また、「全能・満たすもの」を意味するとされるシャダイの語を付してエル・シャダイとした箇所は全能の神などと訳される。

2009年04月10日

チフテテリ

チフテテリ(ギリシャ語 τσιφτετέλι、トルコ語 Çiftetelli)はトルコ、ギリシャ、ロマ(ジプシー)のダンス。中近東のベリーダンスとは異なり、よりスローテンポで「リラックス」したダンスである。

ギリシャにおけるチフテテリの歴史 [編集]
チフテテリはオスマン帝国支配下、あるいはその独立に伴う住民交換によって小アジア半島からギリシャにわたったと考えられる(希土戦争も参照)。特にギリシャ人の多く住んでいた小アジア半島のイズミル(スミルナ)からギリシャに追放されたギリシャ人によって、チフテテリがギリシャにおいて全国的な知名度を得るようになった。

一方で、チフテテリそのものは古来ギリシャに存在していたと考えられている。この説では、もともとアプロディテを崇拝するダンスとして古代より存在していたチフテテリが、その後東ローマ帝国時代にアラブなど中近東の文化と混交したものであるとする。

いずれにしても、現在のチフテテリはイズミル(スミルナ)から渡ってきたギリシャ人によって広まり、発展してきたものである。はじめはレベティコ文化の一部であったが、現在のチフテテリはそれとは大きく異なっている。かつては、イズミル追放の歴史を反映して、悲しい内容の歌詞が多かった。しかし、現在のチフテテリの歌詞は陽気で明るく、あるいは内容に意味のないものも多い。こんにちのチフテテリは現代のアラブ音楽との共通点も多い。

こんにちでは、チフテテリのダンスは民俗音楽フェスティバルやナイトクラブ、あるいはブズキアとよばれるギリシャ風のないとクラブ、私的なパーティ、結婚式など、あらゆる場面で見かけることができる。チフテテリは社交ダンスとして多くの人々によって、ペアになって踊られる。それは情熱、そして恋の駆け引きを表現したものである。

スキミン ソーター ブロッキ レニア ツーリング ナスカ イジェクト ビッグ カット 管弦楽団 ユース イブ日本 バンコ ゾーニング フルスピ モンテ サクラ キット モメンタム スラング 波間 ヒロポン ハシソウ プレース ジャル めんだ トラベラ パロディ タイプ オーバー ウィグ パキラ そらち ダラー シロッコ バーベナ ダーク フリー スーツ マウス ネクタ ネチズ ヨット バリ デリン ブルーデー フェルト イーブン ブライ にしままい


2009年03月26日

大人買い

大人買い(おとながい)とは、主にネットスラング、あるいは若者らの間で使用される俗語。意味は以下の場合に用いる。

金銭的に裕福な大人(主にサラリーマン)がその経済力に物をいわせ、食玩(おまけ)などパッケージを開封しないと中身が分からないおまけ入り商品を大量に(しばしば、箱買い、ケース買いで)購入すること。
転じて、菓子などに限らず、単に通常人が買う平均を大幅に上回る量の物を一度に買うことを指す場合もある。2000年代後半以降、主に趣味の分野(漫画の全巻/映画やTVドラマの全シリーズ/音楽ソフト/書籍/キャラクターグッズ等)で同シリーズで何種も発売されるものを全て買うことを限定的に指すことも増えている。[要出典]
このうち、久米田康治作の漫画作品『かってに改蔵』の単行本5巻第1話『これが大人の買い方だ!!」にて、『大人買い』という言葉が定義1を用いて使用されており、それに因んだストーリーとなっている。この作品によって俗世間に広まったかどうかは確証できないが(しかし、この作品には他に『不発弾』など、ネットスラングを中心に若者言葉として流布された表現が多いことから少なからず影響はあったと見られる)、2000年以降の漫画作品の幾つかにはこの『大人買い』という表現が見られる。

尚、株式相場について、ネットトレーダーの間で、外国人機関投資家がまとまった数量の買い注文を出すことの意味で用いていたといわれる。
子供を対象に販売した(おまけ入り)商品を購入者個人の用を目的として大人が購入するさまから大人買いと呼ばれるようになったと言われる[要出典]。このため、子供への配布など、購入者個人の用とは成らない場合は箱買いなどと区別される。

また、お菓子のおまけなどの「レアアイテム」や「シークレットアイテム」を確実に当てるために大量購入した結果として大量の「ダブり」を生じることや、子供の列に大人が混じって購入すること、中のアイテムによって一喜一憂する姿から、「大人気ない買い方」が転じたともいわれる[要出典]。 女性による大人買いを「乙女買い(おとめがい)」と言い換える人もいる[要出典]。
スイート ビジブル 神の蔵 梅最適 ノマド 天空の城 ほない スポー メセナ ノーブル ルピア レシピ ビーエル ナビサド インテーク オーバー ベックス イッシュー ムラグ おのいして ガーベラ バターケ ピッチ リアフレ デルレイ ソシオ ひるぜん ストロ ビジョナリー ミブーツ デポジット フレッ シンフ マザー ウルク たつごう キヨス モルツ トゼブラ シェルタ マホメ ふたみ せっさ マヌカン レクチン クロヨン プラグ ナッシ トーチ リョウ

心理的大人買い [編集]
心理的側面から見た場合、子供の頃に経済的な理由からそうした商品を満足に手にすることができなかったことのフラストレーション、そして大きくなって就職し、ある程度の収入が得られるようになったことで自由に商品を購入できるようになったことのカタルシスとの相乗効果によるものも原因の一つと考えられる[要出典]。

スラング [編集]
ネット上のスラングとして、証券市場などにおいて、個人投資家などの小口の買注文に対して、機関投資家などの大口の買注文も大人買いと呼ばれる場合がある

2009年03月10日

サン・アグスティン

サン・アグスティン遺跡群(San Agustín)は、コロンビアのマグダレナ川上流の標高1200mから2000mの山岳地帯に500km2の範囲にわたって点在する独特な石彫で知られる遺跡群。首都ボゴタからは南西約350kmに位置し、主な遺跡だけでも30ヶ所前後に達し、南米でも最大規模。この遺跡群の立地は、東方はカケタ川からアマゾン川へ、西方はパティア川から太平洋へ、北方は、マグダレナ川からカウカ川を経由してカリブ海へ抜ける交易の要衝ともいえる場所である。サン・アグスティン文化を築いた人々は、そのような交易やトウモロコシ栽培、果物など食用にするための植物採集によって生活の糧を確保していたと考えられる。

サン・アグスティンは、1757年にスペイン人修道士サンタ・ヒエルトゥディスが旅行記に記したことが最初の記録とされる。その間、エル・ドラドを求める好事家や一攫千金を求める山師のような人々によって遺跡は所々荒らされたようである。1913年から14年にかけてマグダレナ川流域を調査したドイツの人類学者、コンラード=テオドール=プロイス(Preuss,K.T.)によってサン・アグスティンの重要性が正当に評価かれるようになり、1929年に報告書として公刊された。その後、1956年に『自然の驚異』という書物に大きく紹介されたり、シヌー文化の研究でも知られるライヘル・ドルマトフなど国内外の研究者たちによって現在に至るまで数多くの調査が行われている。

遺跡の時期、性格、埋葬の種類
サン・アグスティン遺跡群最古の遺物は、放射性炭素年代測定によると紀元前500年にさかのぼるものがあることが確認されているため、その時期から川沿いに集落を営んでいたと考えられる。5世紀ごろから8世紀ごろまで石彫を伴うマウンドや巨石を用いたドルメン状の小神殿を築くようになる。これらは墳墓や祖先崇拝に関連する遺構であることが明らかにされている。石彫を伴うマウンドは、古墳ともいうべき墳丘墓であり、直径25mに及ぶものや立派な石室を伴うものがみられる。また、死後の世界の長い旅をイメージしたと思われる長い羨道をもつ長方形の墳墓も見られる。高い地位の人物を葬った石棺には幾何学文様が刻まれ、しばしば故人の従者を模したと思われる石彫がそばに置かれている。石棺にも丸彫りの石棺と組み合わせ式の石棺がみられる。埋葬の形態や方法はこのような墳丘墓やドルメン状の巨石墓がある一方で土坑墓、甕棺墓がみられ、火葬や二次埋葬、集団埋葬などの墓も発見されている。これらの埋葬の形態の多様性は、社会的階層のちがいによると考えられている。
ピンク バター 天使ノタ マルチ 華の段 メロン カーリング ゲットー バイオガス ハンカチ ハンドマ チューリン バナナ レパシー サープラ ロザリ キンリー ウエス シェリフ アンソ チェロ さらくやし ピーエル ギング モノキ トリポ ラップカ ハイデ 枸橘 高麗人参 リベラル ワイル ブレーキ ちょうせき トレーダー カモミー アージュ リム いっきく おのえ フィナーレ ゴニウム ノギス ソフト スポイル マベパール ラクトース きわの マフィン ングイン

サン・アグスティン遺跡群の特徴は、なんといってもその独特な石彫に求められる。丸彫りや板状の石を用いた石彫は、ペルーを中心にアンデス地方一帯に影響を及ぼしたチャビン文化の石彫を思わせるようなネコ科動物的な神格をもった半人半獣の牙を生やした怪人像、神官や戦士を表すと見られる人物像、蛇、ワニ、トカゲ、カエル、サンショウウオ、猛禽類を刻んだ石彫が400個体近く確認されている。墓に伴うものは、天井石を支えるような形で主人を囲んで2体の従者のような組み合わせになっている。一方で、石彫の中には4?5mに達する巨大なものもみられる。小さなものと共通する特徴としては、頭部、顔、両手が丁寧に彫られているが下半身は比較的雑に造られているという傾向があることである。石彫の年代ごとの特徴は、三期に区分されると考えられ、前期と呼ばれる時期のものは、線が少なく、中期と呼ばれる時期になって本格的なレリーフの石彫が出現する。後期のものは、見てそれと分かるような特徴のある独特な石彫や石版が出現する。

2009年02月22日

Babm(ボアーボム)

Babm(ボアーボム)は日本人哲学者岡本普意識(1885年 ? 1963年)が作った国際補助語である。 岡本は1962年の書籍でこの言語を始めて出版したが、この言語は人工言語コミュニティにすら受け入れられず、いかなる恒常的な話者をもたない。この言語はアブジャド(それぞれの文字が母音を省略したひとつの音素でなく音節を表す)としてラテン文字を用いる。 ラテン文字の書記体を使う読者にとって、これは母音文字よりもはるかに多い子音文字で、むしろ奇妙に圧縮された文を作る。しかしながら、少しの訓練でボアーボムは簡単に読めるようになる。
ワンス ボデオ モンクレ シガト ドレア パーコレ スタート メジャー ピーエイ ソフトダ ロッド たむぽえ フレム パンジー 羅生門 ブリスベ 便利に イチゴ ストッ ニット えいか ハンド ジース カーネリ ドラー あいら パンゲア オブラ ジンサ スカジー ドルペッグ うたまくら えいこう モルディブ たいゆう ニオブ 美女と野獣 ドーマ トップ トパイ ダウンベ ナビルポ ナトリ ろぎょ オーニソム 雪舞い マルチ タイトルラ トリ キャメ

語彙の構成は、既存言語から語彙を借用しない先験語からなる。 その語彙は、例外が多いものの、第二短音字までは、展開分類法をもちいた図書分類法のように整然と分類されたものが多い。

生物の部(B)
動物一般と獣類に関する名詞(bm、bn)
bmom象
bemdスズメ(鳥のカテゴリーがあるのになぜかここにあるのは謎)
この手法は、17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパの人工言語界で主流であった、哲学的言語の手法であり、そのコンセプトは理性的に分類された単語を用いることで、思考の明晰化を図るという哲学的な目的である。 この単語生成術は、のちに図書館分類法の発達を促したが、言語として用いるには致命的な欠点を抱えている。すなわち、同一カテゴリーのものは同じような発音になってしまうので紛らわしいこと、科学の進歩とともに冥王星が惑星でから矮小惑星というカテゴリーに変換されたように、頻繁にカテゴリーの変換が起こるため、真に理性的な分類になり得ないこと、そしていくら覚えやすいように作ったとしても、膨大な未知の単語を覚えるということは大変な労力を要することである。ゆえに19世紀以後、ヴォラピュクやエスペラントのような既存言語から単語を借用する後験語型の人工言語に主流が移ったのである。にもかかわらず、このような古風な手法を用いるのは、岡本普意識の哲学者としての願望が反映したゆえと考えられる。

文法

名詞

否定
接中辞-u-(第一長音字の前におく)で「不」、接尾辞-cqで「無」、接尾辞-iqで「非」を意味する。

babm 世界語 buabm 不世界語 babmcq 無世界語 babmiq 非世界語

複数化接尾辞-a
複数化接尾辞-aを付加することで、複数形に出来る。 bcet 人 bceta 人々

補足語化接尾辞 -e
補足語化接尾辞 -eを付加することで、名詞、代名詞、動詞を補足語化できる。

bcet 人 bcete 人の v 私 ve 私の gof 飛ぶ gofe 飛ぶ(連体形)

所有格接尾辞 -i
所有格接尾辞-iを付加することで、名詞、代名詞を所有の意味の補足語化できる。

bcet 人 bceti 人の v 私 vi 私の

名詞化接尾辞 -ll
名詞化接尾辞-llを付加することで、動詞や補足語を名詞化できる。

gof 飛ぶ gofll 飛ぶこと coj 自由 cojll 自由なこと

代名詞

人称代名詞
VとYを単独で用いるときは、大文字を使う

非人称代名詞、関係代名詞、疑問代名詞に以下の一般付着辞を付すことで、 英語における5W1Hのような様態をあらわすことができる。 付着順序は、[代名詞]-[称]-[一般付着辞]-[複数]の順になる。

-d- 物 -g- 方法 -h- 時間 -k- 事項
-m- 理由 -n- 数量 -p- 場所
-t- 人間(非人称代名詞では使用しない)


動詞

否定
原形および原形の連体形で接頭辞u-を用いる。

例:gof 飛ぶ ugof 飛ばない   gofe bpeb 飛ぶ鳥 ugofe bpeb 飛ばない鳥

しかし、その他の多くの形では接尾辞-uを用いる。

時制
現在形は無標。過去は接尾辞-ip、未来は、接尾辞-erで表す。 -のところは不明だが、そのまま補足語化接尾辞-eをつければ良いものと推測される。
名詞に動詞化接尾辞-ogをつけることで、動詞化できる。

mben 謙譲 mbenog 謙譲する
ただし、時制や相など他の動詞用接尾辞が付着している場合は-ogは使わない。

ragh 配膳 raghip 配膳した。
また、病気名に-aqを付すことで、「?を病む」という意味になる。

loqb チフス loqbaq チフスを病む

補足語
補足語とは、前置修飾語のことであり、体言に修飾するときは形容詞、そのほかのものに修飾するときは副詞として機能する。副詞として機能させる場合、副詞化接尾辞-wを付加することで、副詞であることを明示することができる。補足語の形状は、第一字がcであり、合計2?4文字で構成されている。

cefd 白い cefdw 白く coip 優秀な coipw 優秀に


否定
名詞同様、接中辞-u-(第一長音字の前におく)で「不」、接尾辞-cqで「無」、接尾辞-iqで「非」を意味する。

ckag 活動の cukag 不活動の ckagcq 無活動の ckagiq 非活動の

強調 -a
接尾辞-aでその補足語の程度が著しいことを示す。

coj 自由な coja 著しく自由な

比較級と最上級
比較級は接尾辞-e、最上級は接尾辞-iで表す。

coje より自由な coji もっとも自由な

数詞
数詞は、名詞または補足語の役をなす。 アラビア数字、またはラテン文字にダイアクリティカルマークが乗った物であらわす。

0(o オー)、1 (b~ ボー)、2(d~ デー)、3(f~ フー)4(g~ ガー)、5(h~ ハー)、6(j~ ジー)、7(k~ ケー)、8(l~ ルー)、9(m~ ムー)、10(a ア)、100(o オ)、10^3(u ウ)、10^6(n¨ ナー)、10^9(p¨ ペー)

命数システムは、西洋式の三桁ごとに区切る方式か、粒読みを行う。

3,219,876 (フーナー・デーオ・ボーアムーウ・ルーオ・ケーア・ジー / フー・デー・ボー・ムー・ルー・ケー・ジー)
序数は接尾辞-rをつけて作成する

b~r 第一

語順
基本語準は、SVO型である。 そして補足語(形容詞および副詞)などの修飾語は前置され、前置詞を持つという点が漢文の文法に類似している。

cmo bpeb cgedw gof op djoh.(大 鳥 荒 飛 於 空)大きな鳥が空で荒く飛ぶ。
ゆえに英語では不自然なSOVOやSCVO語順も見られる。

Pabjt vew laijip pigm.(先生 私に 説明した 理論)先生は私に理論を説明した。
Ribt cmo dek hojm.(主婦 大 する 服)主婦は服を大きくする。
関係節が前の語に修飾するか、後ろに修飾するかは、状況によって異なっている。

Y habip op cmo hdat, Ired V widir.(君 住んだ 於 大 家, →其 私 買うだろう)君が住んだ大きな家を私は買うだろう。
Qwt pegip ce hatj, Ired Y pajipio?(誰 書いた その 本, ←其 君 読んでいた)君が読んでいたその本は誰が書いた?
繋辞文に関しては、「である」を表す接尾辞-oを用いたSC語順と、 繋辞動詞debを用いたSVC語順のものがある。

Rces cuojio. (奴隷 自不由最是)奴隷はもっとも不自由である。
cojill deb cdid pjob. (自由最事 是 永遠 理想)最大の自由は永遠の理想である。

2009年02月06日

美しい星50

美しい星50(クールアース50)は、ポスト京都議定書の枠組みづくりに向けた提案である。この提案は、2007年(平成19)年5月24日に、国際交流会議「アジアの未来」晩餐会にて、安倍晋三総理 (当時) の「美しい星へのいざない (Invitation to『Cool Earth 50』) ?3つの提案、3つの原則?」という演説の中で行われた。
バニラ ラバー 野かんぞう シバナ ナムル 青じそ ネムノ マンナン シュミー 春の小川 スキル マルシー フライ イノベー フェロール ウシカ おすすめ ライフ シュー スタイ ラードダ カタクリ 桜桃 ステッカ バイオ ドリフト テキス サイト刈穂 ルクラス シャンパン ピン幸運 ドラキュラ ヨード パレス トレー しりもち くさなぎ アックス すたー るはーぶ ワイルド ぴおーね 天使のア シスタ リライト ランス ナルキ サイバ グロブリン ポイント

京都議定書下でのCO2削減に絡む、以下の3つを課題として捉えている。

「温室効果ガスの排出削減に取り組むと、経済成長が阻害されるのではないか」という懸念
「自国が取組んでも他国が取組まなければ、地球規模での問題解決にならないのではないか」という懸念
「途上国に対策を求めるのは不公平ではないか」という議論

提案

世界全体の排出量削減のための長期戦略
全世界に共通する目標として、「世界全体の排出量を現状に比して2050年までに半減する」という長期目標を提案した。 これは、気候変動枠組条約が掲げている目標が「大気中の温室効果ガスの濃度を安定化させる」であることから、世界全体の排出量を自然界の吸収量と同等のレベルにする必要があると考えたからである。2008年現在、世界の排出量は自然界の吸収量の2倍を超えているため、本提案での長期目標がこのように設定された。

革新的技術の開発
目標達成のための手段の2つが、この革新的技術の開発である。経済成長と温室効果ガスの排出削減を同時に進めるための技術を、国際協力によって開発しようというものである。以下にその具体案を載せる。

石炭発電・火力発電に伴うCO2削減
石炭火力発電は世界の3割を占めている。まずは、この発電方法におけるCO2を削減する技術を開発することである。
新しい発電技術の開発
代替となる発電方法である、原子力発電の信頼性と安全性を高めることや高温ガス炉、小型炉など先進的な原子力発電技術を開発することである。
次世代自動車の普及
太陽光発電や燃料電池の低コスト化や高効率化を進める。
製鉄
鉄鉱石から鉄を生産するときに用いられるコークスを減らすために、水素を用いる技術

低炭素社会づくり
生活の豊かさを実感しながら、CO2を削減できる社会づくりのことである。具体案を以下に掲げる。

森林などの自然と共生した生活、公共交通等の効率的な移動システム、コンパクトなまちづくり
リサイクルの社会
日本に昔からあるもったいないの心や緑も豊かな江戸時代のまちづくりに代表される良き伝統、GDP当たりのCO2排出量が主要国の中で最も少ないこと、公共交通機関を使う割合が47%と先進国の中でも高いことなどを「日本モデル」とし、世界に向けて発信しようとしている。

2013年以降の国際枠組み構築に向けた「3原則」の提唱
地球上のすべての人々の参加を目指した、2013年以降の温暖化対策の具体的枠組みを設計するために、以下の3原則を提案した。

主要排出国が全て参加し、京都議定書を超え、世界全体での排出削減につながること
アメリカ合衆国(CO2排出世界1位)、中国(CO2排出世界2位)、インド(CO2排出世界5位)を含む主要排出国を参加させること。
各国の事情に配慮した柔軟かつ多様性のある枠組みとすること
省エネなどの技術を活かし、環境保全と経済発展とを両立すること
この中で日本は、温室効果ガスの排出の抑制を目指す途上国を支援することを表明している。そのための資金メカニズムを、先進国や国際機関などが強調して構築することを訴えている。

京都議定書の目標達成に向けた国民運動の展開
日本の施策である、京都議定書の目標達成に向けた国民運動を以下のように展開することを述べた。

京都議定書目標達成計画を見直し、排出量の伸びが著しいオフィスや家庭を中心に、新たな対策を追加する。
自治体や主要な業務部門に対して計画の公表を要請し、行動の加速化を促す。
「1人1日1kg」の温室効果ガスの削減をモットーとして、ライフスタイルの見直しや、家庭と職場での努力や工夫を呼びかける。具体的には、クールビズ、ウォームビズの定着、ゴミの減量、白熱電球の蛍光ランプへの交換、省エネルギーのアドバイス事業など。
新しい提案の公募。

2009年01月22日

国際経済法(International Economic Law)

「国際経済法」(International Economic Law)とは、国家間の経済活動を規律する国際法の一分野であり、第二次大戦後に急速に発展した分野の一つである。1947年の「関税と貿易に関する一般協定」(GATT; General Agreement on Tariffs and Trades)により、経済的価値が国際法に導入された。GATTの目的は、自由貿易の促進にある。そのために、最恵国待遇・無差別原則(1条)、関税譲許(2条)、内国民待遇(3条)を原則とする。

そして、多角的貿易交渉・ウルグアイ・ラウンドの成果として、1994年に「マラケッシュ協定」が成立し、翌年、「世界貿易機関」(WTO; World Trade Organization)が設立に至り、単なる条約にすぎなかったGATT制度は、国際組織となった。そして、ウルグアイ・ランウンドで結ばれた数々の協定により、その対象領域は急速に拡大した。例えば、「サービスに関する一般協定」(GATS; General Agreement on Trade in Services)、「衛生植物検疫措置の適用に関する協定」(SPS協定; Agreement on the Application of Sanitary and Phytosanitary Measures)、「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」(TRIPs協定; Agreement on Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights)、「紛争解決に係わる規則及び手続きに関する了解」(Understanding on Rules and Procedures Governing the Settlement of Disputes)などである。

WTOによって設立された紛争解決機関(DSB; Dispute Settlement Body)は、その後のGATT/WTO法の実効性に大きく寄与することとなった。特に、米国によりたびたび適用されてきた「スーパー301条」による一方的措置がこれによって禁じられ、全ての紛争は、「パネル」(Panel)及びその上訴機関の「上級委員会」(AB; Appellate Body)の「報告」(Report)に服することになった。いわば、GATT/WTO法は、自己完結的制度(self-contained regime)といえるだけの性格を保有するに至った。

また近年、GATT/WTO法による環境保護が急速に発展している。GATT20条(b)は、「人、動物又は植物の生命又は健康の保護のために必要な措置」を、同条(g)は、「有限天然資源の保存に関する措置」を、締約国に認めている。ただし、20条前文は、「ただし、それらの措置を、…濫用的に(arbitrary)もしくは正当と認められない差別的待遇の手段となる方法で…適用しないことを条件とする」としている。WTOが出来る前の1991年の「第一マグロ・イルカ事件」(メキシコ対米国; Tuna/Dolphine Case I)において、パネルは、20条(b)または(g)によって域外管轄権の行使を認めると、GATTで保障されている他の締約国の権利を害することになってしまう、として、米国の海洋哺乳動物保護法(MMPA; Marine Mammal Protection Act)による措置は正当化できないとした(Report of the Panel, paras.5.27, 5.32, 30 I.L.M. 1594(1991))1994年の「第二マグロ・イルカ事件」(Tuna/Dolphine Case II)においても、本質的に同様の理由により、米国のMMPAに基づく措置は正当化できないとした(33 I.L.M. 839(1994))。しかし、1998年の「小エビ事件」において、上級委員会は、GATT20条(g)にある「有限天然資源」の文言について、他の環境条約も考慮した「発展的解釈」により、「生物天然資源及び非生物天然資源」も含むと解釈した(WT/DS58/AB/R, paras.129-130)。これにより、各国による一方的環境保護措置への道が開かれたといえる。

TRIPs協定については、2001年の「ドーハ宣言」によって、抗HIV薬の特許を最貧国(LDC)に対しては2012年まで延期する旨、決定されたことが注目される。その後、インドや南アフリカにおいて、ヨーロッパの製薬会社が、抗HIV薬の違法コピーを訴える事件が起こったが、南アフリカでは製薬会社が訴訟を取り下げ、インドでは、製薬会社の訴えを退ける判決が下されている。

農業分野では、日本・EUと米国の対立が解けず、シアトル・ラウンドは不成功に終わった。現在も、農業分野の協議が続行されているが、日本は農業生産物の輸入関税の大幅な引き下げを余儀なくされることが危惧されている。

また、最近では、各国間で「自由貿易協定」(FTA; Free Trade Agreement)や「経済連携協定」(EPA; Economic Partnership Agreement)が活発に結ばれている。これは、GATT24条の、貿易の自由の拡大のための関税同盟(例えば、EC)または自由貿易協定を締結することを認める、という規定に基づく。日本は、2002年にシンガポールと初のFTA(日本・シンガポール新時代経済連携協定)を締結した。その後も、メキシコとFTAを締結、ASEAN諸国を中心にその他の国ともEPAを活発に結び、また結ぼうとしている。これらのことは、2002年に小泉首相によって提唱された「東アジア共同体」構想の実現に寄与するものと考えられる。
バク転 ルーシュ ハーブ シニカ テンペラ オーソー スラウ タナトス パンヤゾ いす 夢のカケラ コテージ リターン シーバー ディズム 不死鳥 パドボ 無邪気 アニン シノプシ クリア ラック 君の左手 ライム テストケー ダラス バイア ツルグミ めじり パントモ ニュー ニング エカナ ルノワー シング スカイブル マルメロ パジャマ こむぎ ズボン ウエハース きょうりん ステラ リレー きんかん ドレナ スキーリ パラメデ ローフ アイスティー

国際環境法
国際環境法とは、国際的な環境問題に対処するための国際法の一分野である。その特徴は、「持続可能な発展」(Sustainable Development; SD)概念として現れている。すなわち、従来の国際法が、現在の世代の利益のみを考慮していたのに対して、近年の国際環境法、特に地球環境保護を目的としたものは、現在のみならず将来世代の利益の保護を目指したものであり、過去、現在、未来世代という、相互時間的な「人類」(l'humanité)概念[9]に結びついている。

確かに、19世紀半ばまでは、国際環境法も他分野と同じく、主権国家間の紛争の平和的解決の手段にすぎなかった。すなわち、当時は、「領域使用の管理責任」概念や「相当の注意義務」(due diligence)概念を適用する「共存の国際法」であった(1941年「トレイル溶鉱所事件」(米国/カナダ)仲裁裁判所判決、A.J.I.L., Vol.35, 1941, p.716)。

しかし、1972年の「ストックホルム人間環境宣言」を契機に、地球環境保護が、「人間の福利および基本的人権ひいては生存権そのものの享有にとって不可欠である」(前文)と認められるに至った。このころの国際環境法は、海洋汚染対策(1973年の「航行による汚染に関するロンドン条約」)、特定の動植物の保護(1979年の「野生動物相に属する移動性の種の保護に関する条約」)、UNEPの下で採択された各種地域海洋に関する条約など、まだ「部門別アプローチ」の方式をとっていた(「第一世代の国際環境法」)。

その後、1980年代後半からは、国際共同体全体の利益を管理することを中心問題とした「第二世代の国際環境法」を設定する条約が次々と生まれるようになった。オゾン層の保護、地球温暖化への対処、生物多様性の保護、砂漠化への対処などである。1992年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された環境と開発に関する国際連合会議から生まれた、「気候変動枠組条約」、「生物多様性条約」、そして法的拘束力はないが「森林原則宣言」は、その典型的なものである[10]。

現代の国際環境法の特徴は、(1)防止原則/予防原則、(2)共通だが差異のある責任、(3)私的アクターの3つが挙げられる。

第一に、「防止原則」(Preventive Principle; 「ストックホルム人間環境宣言」第21原則、「環境と開発に関するリオ宣言」第2原則)とは、科学的予測によって、自国の行為が環境を害する恐れがある場合には、前もってその行為を思いとどまらなければならない、という原則である。近年は、それよりさらに進んだ「予防原則」(Precautionary Principle; 「リオ宣言」第15原則)が確立し始めていており、すでにいくつかの条約で採用されている(「気候変動枠組条約」3条3項、「生物多様性条約」前文および「カルタヘナ議定書」10条6項ほか)。それは、たとえ科学的データによって環境を害することが明らかではない場合でも、重大で回復不能な損害を与えるリスクの存在だけで、当該行為を規制しなければならないという原則である。ただ、「予防原則」が一般慣習法に成熟したかどうかは、学説上、争いがあり、1998年の「ホルモン事件」WTO(世界貿易機関)上級委員会報告においては、同原則はいまだ一般慣習法の地位を獲得していないと示された。

第二に、「共通だが差異のある責任」(common but differentiated responsibility; 「リオ宣言」第7原則)は、お互いに助け合う精神的な結びつきである「国際共同体」概念がその基礎にある。すなわち、十分な対応能力を有する先進国と比べて、技術力や資金力を有しない発展途上国を別に扱うことである。たとえ違反が行われてもその事実のみを指摘して制裁を科さない「不遵守手続き」(Non-Compliance Procedure; NCP)や先進国から途上国への技術移転、資金援助などを規定する国際条約が、今日では非常によくみられる。

第三に、私的アクター、すなわちNGO(非政府組織)が様々な条約作成や履行委員会などの国際会議に出席して発言したり、ロビー活動を通じて国家の意思決定に積極的に関わるという現象が見られる。

また法源としては、事態に敏速に対応するために、まず「枠組条約」(framework-convention; une convention-cadre)を設定した後、締約国会議(COP; the Conference Of the Parties)を継続させ、その中で「議定書」(Protocol)、「附属書」(Annex)、「決定」(Decision)を追加していく、という方式がよく採られる(気候変動枠組条約のCOP3(1997年)で成立した「京都議定書」ほか)。また、ソフト・ロー的な法的拘束力のない文書を先行させて、後のハード・ローである条約や慣習法の成立を誘発させる、という形もとられている。

2009年01月15日

アルマ・マーラー=ヴェルフェル

ラージヒル ニズム グアナコ キナパー レール ソング ジョッキー ロール ヒアシン オイヒバ アース ピーピーシー ダイエ バッグ リプレース おたま キング アルタイ キング マネキ ぴんぞろ エッジ プロテク ニバナ ヒッチハイ ひこうき ハバネロ ハムエ てんえい プリオン 相合傘相 マッサ ヤダケ ビネガー ファンド イヌイッ モルドバ コマソン カートン てんま りゅうちょう アラス マヌカン アナカン セフレ デビュー スリッペ ノンプロ ライトノ たいむ

アルマ・マーラー=ヴェルフェルは、多感な時期に、ワーグナーの楽劇にあこがれて作曲家をめざそうとした。このようにもともとはオペラ少女であり、器楽曲を知るようになってから尊敬したのが、ブルックナーとその交響曲だった。アルマの音楽的な趣味がかなり偏っていたのは否めない。厳格で辛らつな教師として知られたツェムリンスキーの個人指導のもと、ある程度まで是正されたようだが、ブラームスに対する無理解(ときにマーラーの発言を引き合いに出してまでこれを正当化しようとした。実際のマーラー自身はブラームスの作品を指揮しているし、晩年のブラームスを訪ね、その時の様子を弟子のブルーノ・ワルターに語ったりしているので、決してブラームスに対して無理解ではなかったのだが)や、ハイドン以前の音楽に対する関心の低さは変わらなかった。

ツェムリンスキーに師事するようになってから、ヴェルフェルと再婚するまでの間に、アルマが断続的に作曲したのは、分かっている限りで歌曲しかない。創作ジャンルも偏っているという事実は興味深い。自伝の中では、器楽曲や室内楽の作曲にも取り組んだと訴えているが、遺品の中からつい最近に再発見されたものも含めて、今のところ存在する作品は歌曲のみである。もし該当する作品がかつて実在したとしても、その後に戦争と亡命の混乱の中で失われたおそれがないでもない。歌曲以外の新発見が今後まったくあり得ないとはいえないにせよ、このように、彼女の主張を補強する材料は乏しいというのが現状である。

アルマの作曲様式は、半音階技法や旋法性、頻繁な予備なしの転調を駆使して、機能和声法から離れようとするもので、その意味ではシェーンベルクの≪グレの歌≫より、和声的にさらに先を行こうとする激しい表現衝動が表れている。しかしアルマが実験的かつ意欲的に創作したのは、ツェムリンスキーに師事した時期の作品だけであり、マーラー没後もなお調性音楽から離れることができなかった。全生涯を通じてアルマの作曲した歌曲は、いずれもシェーンベルクの初期より先を出なかったといわざるを得ない。旋律法において、アルマは朗々と歌い上げるような流麗な旋律を書くよりも、語の抑揚にしたがうことを好んでいる。

一方、アルマは同時代の音楽にも一定の理解と関心を保ち、新音楽の価値については慧眼ぶりを発揮した。夫マーラーが冷淡だったフランス音楽(とりわけドビュッシーとラヴェルの管弦楽曲)やイーゴリ・ストラヴィンスキーの(三大バレエ以降の)作品、シェーンベルクの初期作品のいくつかに、アルマは称賛を惜しまなかった。

アルマは絶対音感と卓越したソルフェージュ能力に恵まれていた。シェーンベルクが自作歌曲の≪心のしげみ≫をたずさえてアルマを訪問した際に、アルマはその自筆譜により即興で視唱し、作曲者を驚嘆させたといわれる。

歌曲作品一覧
Die stille Standt(静かな街)
In meiner Vaters Garten(私の父の花園にて)
Laue Sommernacht(なま暖かい夏の夜を待ちわびて)
Bei dir ist es traut(あなたの傍では心おきなく)
Ich wandle unter Blumen(私は花の下をさすらう)
以上は1910年に出版。

Licht in der Nacht(森に光を)
Waldeinsamkeit(森の孤独)
Ansturm(激情)
Erntelied(収穫の歌)
以上は1915年に出版。

Hymne(賛歌)
Ekstase(恍惚)
Der Erkennende(見分ける)
Lobegesang(頌歌)
Hymne an die Nacht(夜への賛歌)
以上は1924年に出版。

Leise weht ein erstes Blühn(静かに落ちる最初の花)
Kennst du meine Nächte?(私の夜を知っていますか)

著書

本人の手によるもの
『マーラー 愛と苦悩の回想』と『グスタフ・マーラー 回想と手紙』の原書は同じもの(Gustav Mahler: Erinnerungen und Briefe)である。なお、『わが愛の遍歴』の原題はMein Leben。

『わが愛の遍歴』(塚越敏、宮下啓三訳/筑摩書房/1963年)
『マーラー 愛と苦悩の回想』(石井宏訳/音楽之友社/1971年) ※1987年、中公文庫に収録された際に『グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想』と改題。
『グスタフ・マーラー 回想と手紙』(酒田健一訳/白水社/1973年) ※1999年に同社から復刊された際、『マーラーの思い出』と改題。

アルマ・マーラーに関する邦書
フランソワーズ・ジルー『アルマ・マーラー ウィーン式恋愛術』(山口昌子訳/河出書房新社/1989年)
ベルント・W.ヴェスリング『アルマ・マーラー華麗な生涯』(石田一志、松尾直美訳/音楽之友社/1989年)